「この人、なんでこんなこと言うんだろう。」
そう思ったこと、あるよね。
私は何度もある。
「いやいや、なんでそうなる?」
って、本気で思ったこともある。
でもね。
最近は、その回数が減った。
相手が変わったからじゃない。
私の見方が少し変わったから。
見ている景色が違うんだわ。
いや、もっと正確に言うと、
立っている前提が違う。
私は、人と話が噛み合わない理由のほとんどは、意見じゃなくて前提だと思ってる。
みんな、自分の前提から話している。
しかも、その前提は、自分にとってあまりにも自然だから、自分では「前提」だなんて思っていない。
「常識」だと思ってる。
だから厄介なんだよね。
例えば、満員電車のベビーカー。
「17時のラッシュにベビーカーで乗るなんて非常識。畳めよ。タクシー乗れよ。」
そう言う人がいる。
でも、その人は、
「ラッシュ時の電車は、多くの働く人が効率よく移動するためのもの」
という前提で話している。
だから、その前提に立てば、ベビーカーは迷惑になる。
一方で、
「電車は誰でも利用していい。子ども連れも同じ利用者なんだから、周りが配慮するべき。なんなら、あなたたちが時間をずらせばいい。」
そう言う人もいる。
この人は、
「公共交通は誰もが平等に利用できるものであり、社会は立場の弱い人を支えるべき」
という前提で話している。
だから、その前提では、譲るのは周りの役目になる。
つまりね。
どっちも、自分の世界では筋が通ってる。
だから、自分では「正しいことを言っている」と思う。
そして相手を見て、
「なんでそんなことも分からないの?」
って思う。
でも。
相手も、まったく同じことを思ってる。
だから終わらない。
連休中の高速道路もそう。
トラックドライバーは、
「こっちは仕事なんだ。遊びじゃない。」
と思う。
レジャーに向かう人は、
「なんで連休にトラックが走ってるんだよ。渋滞するって分かるでしょ。」
と思う。
どっちにも理由がある。
どっちにも事情がある。
どっちにも、「それが当たり前」という前提がある。
だから簡単には変わらない。
ここでね。
「私は違う。」
って思った人もいるかもしれない。
でも、多分、違わない。
もちろん僕も。
人はみんな、自分の前提で世界を見ている。
見えていないだけ。
だから怖い。
もっと面白いことがある。
人は「前提があるから結論を出している」と思っている。
でも実際は、逆のことも多い。
先に、
「私はこう信じたい。」
「私はこうあってほしい。」
という気持ちがある。
そのあとで、その結論に合う前提を集めてくる。
人間って、意外と理屈で動いているようで、感情で動いている。
だから私は、
誰かが強いことを言っているときほど、
結論じゃなく、
前提を見るようにしている。
「この人は、どんな世界を前提にすると、この結論になるんだろう。」
って。
そうするとね。
不思議なくらい腹が立たなくなる。
賛成できるわけじゃない。
「それは違うでしょ。」
と思うことも、もちろんある。
でも、
「ああ、この人はこの世界を見ているのか。」
そこまでは理解できる。
それが対話のスタートラインだと思ってる。
前提が違う人同士が、
結論だけを投げ合っても、
永遠に平行線だから。
本当に賢い人って、
自分の正義を語る人じゃない。
自分の正義にも、前提があることを知っている人。
だから、人の話を聞ける。
だから、自分の考えも変えられる。
「自分は正しい。」
そう思うことは悪くないって思う。
でも、その前に一回だけ、
「自分は、どんな前提の上で正しいと思っているんだろう。」
そう自分に聞いてみる。
その問いを持てる人は、
議論に勝つ人じゃない。
人と話ができる人になる。
そういう人でありたい。




