彼岸が近づくと、家族に霊がやってくる。
そう聞いて驚く人もいるかもしれない。だけど、僕たちにとってはもう、特別なことじゃない。
母は夜になるといつの間にか静かに座り、やがて祖父の声と顔で語り始める。
仏壇の引き出しにある小さな置物、聞き取れない呟き、そして深夜0時の離脱。
この話は、誰かに信じてほしくて書いたわけじゃない。
ただ、嘘は書いていない。
彼岸と、家族に訪れる霊の話
もうすぐ彼岸が来る。
秋の彼岸入りは9月19日。今年もまた、あの季節だ。
彼岸が近づくと、僕の家ではちょっとした異変が起きる。
それは母が、霊に憑依されることだ。
霊がやってくるのは、彼岸入り当日とは限らない。
むしろ、僕の経験では1週間ほど前の深夜、家中を歩き回る足音が聞こえたら──それが合図だ。
母が憑依されるのは、決まって夜9時ごろ。
最初は床に静かに座り、なにかモゴモゴと呟き始める。声はかすれて聞き取れない。
やがて顔つきが変わり、どんどん“おっさん”のようになっていく。
しばらくして話しかけると、低い声でこう返ってきた。
「俺は○○だ。お前は誰だ?」
「愛之助だよ」と答えると、おっさん顔だった母の表情が和らいだ。
家系図を思い出す。
○○──それは、母の父、つまり僕のおじいちゃんだった。
憑依したおじいちゃんは、僕にこう頼んできた。
「ちょっと頼みがある。ここの下に、こんな形のものがあるから見えるところに置いてくれ」
ここの下って、どこだ?
母は床に座っている。床の下なんてない。
……はっ、もしかして隣の仏壇の部屋か?
慌てて仏壇部屋に向かい、引き出しを開けると、小さな円筒形の置物が出てきた。
それを持ち帰ると、おじいちゃん(母)は目を輝かせた。
「おぉー!それだそれ!それを見えるところに置いてくれ!」
僕は言われた通り、仏壇の正面、見える位置にそれを置いた。
それからしばらくして、母の声はだんだん小さくなり、何を話しているのか聞き取れなくなった。
そして、深夜0時前には完全に憑依が解け、いつもの母に戻っていた。
憑依はとにかく体力を奪う。
昔、生きていた頃の父も、憑依中のおじいちゃんに向かって
「◯◯子(母)が死んじゃうだろ、早く出て行ってくれ!」と怒っていたのを思い出す。
今夜は、母にもゆっくり休んでほしい。
翌朝、母は穏やかな顔で言った。
「昨日の夕食、美味しくなかったわ。味が全然しなかった」
そう、憑依は静かに進行する。
霊が母の意識を少しずつ塗り替え、夕方から夜にかけて完全に入れ替わる。
何も怖いことはない。霊はただ、伝えたいことがあって、母の身体を一時的に借りに来るだけだ。
憑依されるのは、いつも母の父親か祖父。
なぜか他の霊が来ることはない。
もしかすると、家そのものに結界のようなものが働いているのかもしれない。
特に、古い方の建物には何かしら、知られざるものがある気がする。
母は、霊媒師だった叔母ちゃんとも仲が良かったし、もしかするとそういう「家系」なのかもしれない。
小さい頃から、母はこう教えてくれた。
「もし見知らぬ霊が来たら、“僕では供養できないから、違う所へ行ってください”って言いなさい」
それは彼岸の時期以外でも同じだった。
今では、誰が来たのかまず確認する癖がついた。
“誰?“って聞いただけで、通りすがりの霊ならシュッと消える。
キョロキョロして探すフリをしても消える。なかなか面白い。
もしそんな場面に遭遇したら、ぜひ試してみてほしい。
家族もこの現象には慣れたものだ。
祖母に憑依された母を見て、甥っ子が言う。
「おっちゃん、祓っといて!」
そんなことできた試しはないし、そもそも先祖を祓う必要なんてない。
僕たちはいつものように笑い飛ばす。
ある年の家族旅行、山に泊まった夜。
母に霊が憑依した。
でも、その時はいつもと違った。
ただ唸るだけで、誰か名乗ることもない。
甥っ子や姉は呆れ顔で「またかよー、めんどくさいな、祓っておいて」と言うが、僕は「いや無理だって」と苦笑いする。
そんな中、ひとりだけ青ざめている人がいた。
それは、妻だった。
「えー、なになに?霊が憑いてるの?なんでみんな落ち着いてるの!?」
動揺する妻に、「ごめんごめん、言ってなかったわ」と事情を説明する僕。
その横を、甥っ子たちは笑いながら温泉に向かっていった。
霊はたぶん、深夜に家中を歩き回り、仏壇にたどり着く。
そして夕方ごろから母に入り込み、夜9時〜10時に本格的に姿を現す。
用事が済むと、0時前には静かに去っていく。
これが、僕の家の彼岸のスタンダードだ。
最近は、母も憑依されることが減った。
「歳取ったからかな」と笑っているけれど、もしかすると、もう向こうに誰もいないのかもしれない。
霊は普段どこにいて、どうやって来るのか。
なぜお盆には来ないのか。
なぜいつも同じ人だけなのか。
結局、何一つわかっていない。
※この話は、証明のしようがない。
仮に動画を撮っても、「やらせだろ」と言われるだけだろう。
もしかしたら、僕も家族も頭がおかしいのかもしれない。
でも、嘘は書いていない。
似たような体験をした人が、
「ああ、うちだけじゃないんだ」と思ってくれたら、それでいい。